団体設立者インタビューアーカイブ
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今回インタビューをさせて頂いたのは、高校時代に不登校を経験し、その後は早稲田大学に進学。大学時代はボランティア団体の代表を務め、現在は人材系のコンサルティング会社に勤務されていらっしゃる湯山秀平さん。理想の高校生活を送るために猛勉強をして学校に進学校に進学をしましたが、高校では不登校になってしまいました。前半では湯山さんが大学に進学するまでをインタビューさせて頂きました。
─小中学校は普通に楽しく学校生活を送っていた?
微妙なところで小学生時代は比較的楽しく通っていたんですが、中学校時代につまずいたことがありました。
中学校1年生までは学校が好きだったんですが、中学校2年生の時のクラスがすごく荒れたクラスでした。
当時は真面目で優等生キャラだったので、先生からも頼りにされるタイプでした。先生から「湯山、何で周りを注意しないんだ。」と注意しないことを注意されることがありました。
そういったこともあり、中学校2年から学校が嫌いになってしまいました。中学校の頃は学校に行かなくなったことはなかったんですが、「なんとなく、行きたくないなぁ。」という気持ちで2年間を過ごしました。
─優等生キャラで注意をするとイジメに合ったりしなかった?
実際には注意すくことが出来ませんでした。今思い返せば、先生としては、クラスをまとめて欲しいみたいな期待があったんだと思います。
─学校が嫌いになったの学校自体のイメージが悪くなった?
そうですね、学校という場所が嫌いになっていました。
─その後は高校受験をされて高校に?
そうですね。
─どういう高校に進学した?
─楽しそうな学校に感じるが…。
そこが自分にとって難しいところで、中学校時代が楽しくなかったので、高校にすごく理想を描いていました。
そのモチベーションで勉強を頑張って受験したので、高校生活に対する自分自身の期待が高くなりすぎてしまい、「何となく馴染めない」というちょっとした理由で学校に行きたくなくなってしまいました。
─例えば高校生活にどういう理想を描いていて現実はどうだった?
理想は、行事が盛んな学校なので、文化祭や体育祭などの行事を満喫しつつ、部活や勉強も頑張るという感じで描いていました。
現実は、学校自体は自分の描いていた理想ではあったんですが、いざその空間に放り込まれると、自分が楽しい中学校生活を送っていなかったこともあり、高校で楽しそうにしている周りの人たちに自然と距離を置いてしまい、冷めた目で見てしまっていました。
「みんなは楽しそうだけど楽しめていない自分」がいて、何となく学校に行きたくなくなっていきました。
思い描いていた理想があったんですが、いざその空間に自分がに入ってみたら合わなかった感じです。
─中学校時代に、実は見えない何かが溜まっていた?
そうだと思います。
その後、高校1年生の夏休みに生活が堕落してしまいました。学校に行きたくない気持ちを押し殺して、なんとか1学期を乗り越えて、夏休みに入った途端に昼夜逆転生活が始まりました。
そこから2学期に入っても家から出られなくなりました。
─その後はどのくらい学校に行かなかった?
そこから学校に戻ることはなく、約1年弱くらい引きこもり生活をしていました。
─その時は家で何をしていた?
家でパソコンをやったり、ゲームをやったり、DVDを見たりを繰り返していましたね。
─そのまま学校は辞めた?
そうですね、学校は辞めて勉強だけは自分でしようかなと思ってました。
─自分で勉強をし始めたのはいつから?
それがちょうど高校2年生の6月とか7月とかですかね。
─勉強を始めるきっかけは何かあった?
高校2年生の春くらいに親が「そろそろ何かしたら?」と進めてくれました。
進められた当初は、まだ家から出たいという気持ちはなかったので、ずっと同じような生活をしていたんですが、「徐々に外に出たい」という気持ちと「ここに居たい」という気持ちの両方を持てるようになりました。
その後、外に出たい気持ちの方が高まっていきました。
─親御さんは学校に行かなくなった時の反応はどんな感じだった?
うちの親は学校に行かなくなる前から、比較的放任主義だったので、良くも悪くもそんなに介入はされなかったですね。
─すごく理解力がある親御さんなんですね。
親に理解力があるのか、「話しかけるな」というオーラが出ていたのか…(笑)
理由はわからないですが「学校に行け」と言われたりしませんでした。
確かに親にはすごく助けられたかもしれないですね。
最終的に自分で選択させるまで待っていてくれて、もう一回勉強して大学に行こうと思う後押しをしてくれたので。
「勉強をしろ」と言われたら逆にしないタイプなので、親はそこもわかっていたかもしれないですね。
─その後は徐々に外に出始めた?
そうですね。高校2年生の夏ぐらいから、高卒業認定を取る専門のコースがある予備校に週1〜2回ずつ通い始めました。
─高卒認定を取られたのがいつくらい?
勉強を初めて直ぐだったので高校2年生の夏くらいですね。
─そんなにすぐ取れるものなんですか?
実はそんなに難しくなくて、高校受験で勉強した蓄積がそこで活かされたというか…。
とりあえず高卒の資格を先に取り、そこからは予備校に通いつつ大学受験をしようかと考えていたので、勉強だけはちょっとずつしていた感じです。
─大学を目指そうと思ったきっかけは?
勉強が元々嫌いではなく、予備校を続けていて、他のみんなが高校3年生になるタイミングで浪人生が通うコースに入りました。
そこが毎日ずっと勉強をするコースで、久々に勉強が楽しいと思えたので大学を受験しようと思いました。
─勉強自体は好きだけど学校生活が苦手?
本質的にはそうだと思います。
─そこで勉強をされて大学は無事に受かった?
そうですね。高校3年生の1年間で、今までの分を取り戻さなくてはと思い、毎日16時間くらい勉強をしていました。
今考えればよく出来たなと思うんですが、引きこもっていて何もしていなかった分、沈んだ勢いでジャンプ出来たのかなと思います。
─どこ大学に進学を?
受験ロスからの不登校
真面目で頑張りすぎてしまうからこそ、受験が終わった後に受験ロスから不登校になる子は多いように感じます。大人と違いバランスが取りにくく、頑張りすぎてしまう子供たちに、学校に行けなくなってしまった後に、話し相手でもいいのでサポート出来る友達や家族の支えは大切だなと実感しました。
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1年間引きこもっていたからこそ無我夢中で勉強が出来て、早稲田大学に進学することが湯山さん。その後はどのような心境の変化があったのでしょうか。後編では引きこもった経験があったからこそ見えてきたものをインタビューさせていただきました。
─大学生活は楽しく過ごせた?
4年間トータルで考えたら、楽しかったのは楽しかったんですが、中高時代の自分が出そうになることは何度かありました。
─それは行きたくなくなるみたいな感じ?
そうですね、オンオフが激しい人間だなというのがわかったので、0になりそうなことは何回かありました。
─大学時代にそれがうまく調節出来るようになった?
なりましたね。中高の時はそれに気付くことが出来ず、高校時代で電池が切れたようにオフになってしまったんですが、大学に入り電池がなくなる前に、自分で気づけるようになりました。
完璧主義じゃないですけど、0か100のどっちかみないな感じなんで、受験勉強は100で頑張ったんので、受験勉強が終わった後に一回0になっちゃったんですよね。
大学1年の春から夏にかけては、「これはまずいな」という感覚がありましたね。
サークルにも春からは入れなかったんです。また高校時代と同じで、なんかワイワイしていて嫌だなみたいな。
その後、たまたま大学の1年生の冬にやりたいことが見つかり、そこから2〜3年間はそれをやっていた感じです。
─やりたいことが見つかったきっかけとかはあった?
東北の復興支援のボランティアに大学のプログラムで行かせてもらって、そこでボランティアって人と出逢いがあって楽しいなと感じ始めたのがきっかけです。
その後、マレーシアで教育支援をやっているボランティアに携わりました。
─それは具体的にはどういうことをされたんですか?
色んな年齢の子供たちに授業形式で英語や算数を教えたりしていました。そこから大学時代は就活までボランティア漬けの生活をしていました。
─教育系のご職業に就きたいなとは思わなかった?
ボランティアをやってみてダイレクトに子供たちに教えること自体には興味がないなということに気付いたんです。けれども、人の成長とか人が頑張るのを後押しするのは面白いなと感じで、人事系のコンサルティング会社ならそれに近いことが出来るのかなと思い就職をしました。
大学時代が学生の時で一番楽しかったかなというのがあります。やりたいことも出来たし、頑張りたい時に頑張れた感じです,
─社会人になったばっかりだと思うんですが、もう大丈夫?
そうですね、きつい時はきついんですが、まずなと思った時に気づけるのでどういう対処をしたら良いのかというのが何となく自分でわかってきました。
─因みにまずいなと思った時にはどのような対処を?
休み時は休むか、人と会うと元気が出たりするので、会いたい人に会うというのは大きいかもしれないですね。
─人と会うと元気が出るんですね。
自分の中からモチベーションが上げられないタイプだなと気付いたので、外から与えてもらう環境を作るのが自分にとって合っているのかなということに気付きました。
─今やられているお仕事というのが「人の成長を助ける」ということですが、それとご自身が引きこもっていた経験で繋がる部分はありますか?
あまり成長という言葉が実は好きではないんですが、ポジティブな経験だけが人を成長させるということではないという事を身をもって体験したので、そこへの意識は大きいかなと思います。
高校を辞めるまでは人生はずっとプラスであり続けたいと思っていたんです。いかにマイナスになることを避けるかみたいな。
マイナスががるからこそプラスがより大きく感じれるんだなというのを実感出来ました。
心に闇じゃないですけど、そういうものは誰しも持っているんじゃないかという気付きは大きかったです。
明るそうに人生何もなく送っていそうな人も実はそういう面もあって、自分がそういう経験をしたからこそ、そこに配慮してあげたいなと思えました。
ボランティアの団体で代表をやっていたんですが、その時もそういう意識は活かされたかなと思います。
─明るく見える人でも心に闇があるということに気付いたきっかけはあるんですか?
それは自分自身への振り返りが大きくて、自分は優等生であるということを自分自身でもそうですが、周りからも植え付けられた中学時代でした。
でも、実はそうでないということに自分で気づけたので、周りの人もそうかもしれないと推し量れるようになったのかもしれません。
─引きこもっていた期間というのは人として成長するのに欠かせない期間だったんですね。
たぶんそうだと思います。何年か経った後にやっとそれに気付けました。
社会的マイノリティーを抱えている人たちを支援している大学教授にお会いして、その方が僕のことを理解してくださったんです。
その方にすごく影響を受けました。引きこもってたり高校を辞めた経験も、ここ半年くらいになるまで人に話せなかったので。
それが徐々に話せるようになったというのも大きいです。これまでは弱い自分を認めたくなかったんですが、それがやっと最近変わってきたなと思います。
高校辞めたり引きこもってからは、自分や世間の敷いたレールから外れることに恐怖を感じなくなりました。それはすごく大きくて、楽になることが出来ました。
周りは就職活動で大企業などに行く人が多い中で、本当に自分のやりたいことをやらせてくれそうな会社を選べているというのはラッキーだと思います。
これに気付けたのは高校辞めて良かったかなと思います。虚勢を張らなくて良いし、世間の目を気にしなくなったし。
大学4年生の時に今までの経験を大学でプレゼンする機会があり、その時に一番伝えたかったのは「過去は変えられる」ということです。逆説的ですが、過去は変えられないんですが、自分の捉え方や今の自分を作っているという意味では変えられるのかなということにプレゼンを作っていて気付きました。
─今悩んでる子たちに何かメッセージは?
一番伝えたいのは、自分だけじゃないんだよというのがあります。その時は自分でもわからなかったんですが、そこに少しでも早く気付ければ楽になるのかなと思います。
周りもそういうサポートをぜひしてあげたいなと思います。引きこもってた時にすごく難しかったのが、自分だけじゃないと思いつつも、自分だけだと思いたい時があって。
「だけじゃない」と思うと人って楽になるじゃないですか?でも「こんなに苦しんでるのは自分だけだ」と思うことで楽になることがありました。
─自分だけだと思いたいとはどういうこと?
苦しんでる自分を守るというか、自分と同じ同系列で悩んでいるという括りにされたくなかったんです。両方の気持ちがあって、それがしんどかったですね。
─自分を認めるのが一番難しかったりしますよね。
たぶんそうだと思います。「これでいいんだ」という感覚になれなかったというか。「このままじゃダメなんだ」という感覚と「ここにずっといたい」という間で戦っていた感じですね。
─そういう気持ちの時はどうすれば良いと思いますか?
時間が解決するじゃないですが、焦らないことはすごく大事かなと思います。
自分で無理矢理頑張ろうとしても駄目だと思いますし、周りが無理矢理学校に行かせるのはもちろん駄目だと思いますし、自然と自分の中で整理がついてくる時間があって、それって人によって違ってくる。
10年掛かってしまう人もいると思うし、僕はたまたま運良く1年だったんですが、それが長い短いで良い悪いはないと思うので。
過去は変えられる
どんな経験でも捉え方次第で過去は変えられるという言葉が印象に残りました。そこに本当の意味で気付けた人こそ、バネにして跳ね上がることが出来るのかもしれません。
<湯山秀平>
高校時代に不登校を経験。高校中退後、高卒認定試験を経て早稲田大学商学部に進学。マレーシアの移民問題や教育問題に取り組む団体の代表などを経験。現在は組織・人事領域を専門とするコンサルティング会社に勤務。
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